終わりなき善と悪の対決、バリ島のバロン・ダンス
リゾート地として人気の高いバリ島。そこは日本の愛知県か福岡県ほどの広さの小さな島。その島が、リゾート以外にも人類学のフィールドワークの対象となったり、世界遺産もあるという極めてまれな島だと言えるのだと思います。
そのバリ島ですが、80年代に中村雄二郎という著名な哲学者が「魔女ランダ考」という本を出しました。魔女ランダとはバリ島の宗教的伝統芸能であるバロン・ダンスに出てくるキャラクターです。南アジアの小さな島のバリ島の芸能に出てくるキャラクターを哲学者が本のタイトルにしたというのが印象的なのですが、それは中村雄二郎さんが、その世界に大きくひかれたということなのです。
インドネシアは世界最大のイスラム教信者の国なのですが、そこに属するバリ島自体はヒンドゥー教という特異な位置関係にあります。なので、バリ島にはヒンドゥー教の寺院が多々あります。その寺院の宗教的芸能として行われるのがバロン・ダンス。バリ島はよく神々が棲む島と称されるのですが、このバロン・ダンスは善なる聖獣バロンと悪の魔女ランダの終わりなき善と悪の戦いを描いたもの。
ここでバロンもランダも神々ではなく、聖獣、つまり精霊や悪霊、妖怪といったようなものなのです。魔女ランダはテリブル・マザー(恐るべき大地母神)のようなもので、死や悪を司り負の価値を帯びているのですが、同時にそれは再生と豊穣への転換の契機を含んだ存在だというのです。
面白いことに、魔女ランダに対する善なる聖獣バロンは、村人たちがお供え物によってランダが自分たちの味方に変化した化身だと考えられているそうなのです。バリ島の人たちは日々、お供え物を欠かさないのですが、そこには悪霊たちの邪悪な力を供え物によって慰め善なる力に転じさせようとする土着の知恵があるというのです。
神々ではなく善と悪の聖獣の終わりなき戦い。終わりなきというのが善も悪もあるのがこの世界という認識なのでしょうか?何事もバランスが大切だと考えるのがバリ人だよと、そんなふうにバリ島の方は話していました。
バロン・ダンスの終盤は演者が剣を胸に突き立てるという異様なトランス状態で終わります。研ぎ澄まされた霊的な感覚を、トランス状態という陶酔・忘我になることで<極>を反転させてしまうという感覚。それは言葉では表すことができない世界。
哲学者の中村雄二郎さんは、そうした一連のことを「演劇的知」と呼びました。どこか魂に語りかけてくるような、神話的なシンボリズムとコスモロジーの世界観に帯びたバリ島の文化。とても興味深いと思いました。(「魔女ランダ考」中村雄二郎・著/岩波現代文庫を参考にしました)